はじめに、

日本に来たことは自分にとって幸運だった。軍に参加した2001年以前の生活はぞんざいなものだった。

基地訓練へと向かった日付けは2001年9月11日。悲しいことに、世界的な惨事がその日に起こったため、フライトはキャンセルされた

。 2002年に日本に駐屯し、アフガニスタンやイラクにも向かった。4年間の軍務の間に様々なことを学んだ。

結婚、子供を授かり、離婚を経験した。(念のため言っておくと)その期間に、日本のビジネスについて多くのことを勉強することができた

。 ゲームモニター、テレフォンオペレーター、ゲームの声優等にも挑戦した。そして軍時代の親しい同僚が"本物の"仕事とキャリアを紹介してくれた。−それが英語の教師だった。−

その後セイハ英会話教室に籍を置き、すばらしい経験を得た。しっかりとした研修の後、バイリンガルの日本人アシスタントとチームを組み英語を教えた。教室にはすべての教材や遊具が揃えられていて、服装も自由だった。 やった!!!(笑)

しかし当時自分は神奈川に住んでいたのだが、すべての教室が千葉や埼玉にあり、時折への出張もあった。奇妙だったのは、千葉や埼玉、名古屋に住んでいる教師も神奈川に担当教室を持っていたことだ。最も気になったのは、1月ごとにカリキュラムが移行し、毎年同じ内容の授業が繰り返されていた点だ。自分はそれには賛同できなかった。日本人のアシスタントと授業を行っていくことにも、次第に疲れを覚えるようになった。というのも、毎回英語を生徒に話しかけるたび、生徒の顔が曇りそして、英語を訳して伝える日本人アシスタントの方に向き直り「あ〜わかった!!」と納得する。そしてまた奇妙な顔を自分に向けるのだ。

その後、バルーンキッズ英会話教室の教師に職を移した。この教室のモットーは英語を英語を使って教えるというものだった。そしてスーツ着用が必須だった。週6日異なる教室に向かう(プレスクール、カルチャーセンター、語学学校、市役所など)大きな鞄にすべての教材を入れての移動は大変だった。しかしバルーンキッズは多くの点でセイハよりも好ましかった。週ごとのミーティング、場所ごとの出欠表、生徒の学習レポート。またクラスについての実際の良い点、悪い点の報告が義務付けられていた。カリキュラムは会社側によって決められていたが、教材などの使用や指導自体は教師に任せられていて、担当教室は本当の意味で”自分の”クラスだった。

また子供中心のバルーンキッズ時代、そして現在に至るまで、私は市役所で大人にも英語を教えている。授業内容は、会話を中心に、時々プリントや確認テスト、英語本の読解などもを取り入れてもいる。授業を通して生徒さん達との距離はとても近く、このような素晴らしいクラスを持てたことにとても感謝している。

バルーンキッズを離れてから現在まで、約2年程フリーの教師として幼稚園で英語を教えている。自分のオリジナルの教材やカリキュラムを作り、自身による管理業務を行うことは英語教師としての自分をより一層成長させるのに一役かっている。

まとめとして、

英語教師として日本で得た多くの経験から、かけがえのない多くのことを学びました。

当たり前のことですが、何があっても授業にのぞむ姿勢。例え病気であっても、仕事には向かいます。(余りにも酷い重病を除いて)

生徒が自分の指導をすべて理解できたか確認するまで十分な時間を取ります。急かすようなことは絶対にしません。

もしも生徒が病気で休んでしまったら、いつでも振り替えの授業が可能です。(授業料は毎月最初の授業日にお願いします。(^−^))

英語教室に日本人のバイリンガルアシスタントは必要ないと考えています。もしも英語を学びたいと考えているならば、ネイティブの教師と生徒(あなた)がいればそれでクラスの出来上がりです。

しかし!!!!!!

多くの保護者の方が英語を話せないのと、私自身の日本語の能力がまだ不足しているため、、、、

ご両親は「JJのクラスではどのような授業が行われているのだろう?」「自分の子供は何を学んでいるのだろう?」「何か子供の学習の手伝いはできるだろうか?」または、「自分の英語力は子供と比べてどうだろうか?」などの疑問をお持ちだと思います。

そこで!!このWebサイトは1つのアイディアです。私のすべての授業内容はこのサイト上で日本語で分かりやすく説明したいと思います。後々、音声やビデオも取り入れていく予定です。今のところは、基本的な説明にとどめておきます。お子さんの授業過程をチェックしたいと思ったとき、またはお子さんに何を学んだかみせたいときは、どうぞこのWebサイト「にお越しください。

どうぞこのサイトを楽しんでください。ありがとうございます。

ジェレミー・ジャクソン